大津の宿や軒先で、東海道を旅する人々を相手に、 その場で肉筆で絵を描き、 土産物として売られていました。
はじめは神仏をテーマとした仏画からはじまりましたが、時代の流れとともに いろんなものが描かれるようになります。
元禄年間(1688〜1704)頃からは風刺をまじえた鬼、動物、 遊女や踊る娘などの風俗画も好まれました。
代表的なものとして「藤娘」や「鬼の寒念佛」などがあります。
今以上にスピードが求めてられていました。 「藤娘描いておくんなはれ!」 「わいは、鬼の念仏!」 「へー、わかりたんや 」 こんな会話がかわされていたのかもしれませんね。 大津市歴史博物館へ行くと昔の大津絵を描く様子を映像で 見ることができるのですが、複雑な絵でも7分で描きます。 実際には3分〜5分といったところで、まさに江戸時代もスピード勝負!
当時の値段は蕎麦一杯程度。 現代の感覚ですと800円〜1000円位です。 手軽なお土産としてとても重宝がられていました。
大きさは半紙程度の紙に描かれて、荷物にならないようにクルクルクルと 巻いて持ち運んだそうです。
また、富山のくすり売りが、得意先へのお土産にしていたという説もあります。
いいえ。意外や意外!もともとは世襲なんです。
子孫が代々受け継いでいくことによって大津絵は伝わってきたのですが 江戸時代に大変人気があった大津絵のファンは多く、多くの画家が 大津絵の画題に基づいて描いています。
中でも驚いたのは太陽の塔で有名な「岡本太郎」さん。 彼も大津絵のファンでした。 岡本太郎さんならではの大津絵も見てみたいものです。