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◆ 大津絵とは

     
大津絵(おおつえ)とは
    大津絵(おおつえ)は、江戸時代の初め頃(寛永年間[1624〜1644])から
描かれはじめました。
   
   

東海道五十三次の宿場の中でも最大の人口でにぎわった
大津宿(滋賀県大津市)の東のはずれ
と京都の山科との境にある
「追分」や「大谷」辺りで描き売られていたので追分絵(おいわけえ)
大谷絵(おおたにえ)とも称されています。

現在ならJR琵琶湖線で、京都〜大津まで10分ですが、江戸時代の
旅人たちは、三里の距離を2・3時間かけて歩きました。

京都から出発した旅人が、そして大津から出発した旅人が、
逢坂峠の坂道歩きで「疲れた〜」と一休みする場所が「追分」や「大谷」であり、
そこで売られていたのが 名産品の「大津絵」なのです。

追分や大谷は、今でいうと高速道路のサービスエリアにあるお土産屋
のようですね。

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    ちなみに「大津」には「大きな港」という意味があります。
日本一大きな琵琶湖の南端に位置し、近江(滋賀県)の中でも一番京都に
近かったので多くの人が集まり、旅人がせわしなく往き交い、
笑い声があふれた活気のある宿場町
そんな大津の宿でもたくさんの旅人を相手に大津絵が売られていました。

 
大津絵とは その2
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